東京高等裁判所 昭和50年(う)1468号 判決
被告人 小林孝司
〔抄 録〕
本件は、東京都の江東治水事務所が管理する新川西水門において、高潮防止のための門扉開閉装置が省力化の要請から自動化された際、その工事を請負った日立造船の技術担当者が、施行および竣工後の調整の過程で、装置に重大な欠陥を残す誤りを犯し、その結果、当然門扉が閉まっていなければならない高水位に際し、突然門扉が開いて新川沿岸の住宅地が浸水するという事故が発生したことにつき、同事務所水門管理課管理係長で、本件工事の検査員として検査に当たった被告人が、検査の仕方が十分でなかったとして過失建造物等浸害の罪責を問われている事案であるところ、本件の自動開閉装置のように、検査員の知識、経験をはるかに超える技術を駆使した複雑な機構が包蔵され、かつそれがいちいち外部から確認することが困難な状況にある場合には、検査員のなすべき検査の方法や内容にもおのずから限度があるというべく、特段の事情のない限り、相当広範囲の部分について、業者の専門的技術を信頼せざるを得ないのであって、たまたまその装置に思わざるかしがあり、そのため不測の事故が発生したとしても、その結果からさかのぼって検査員に刑事上の責任を負わせることには、もとより十分に慎重でなければならず、いやしくも検査員個人に結果責任的な過重な負担を負わせることになってはならないことはいうまでもない。
しかしながら、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、本件の具体的事実関係のもとにおいては、結論として、被告人は過失建造物等浸害罪の責任を免れないと考える。
すなわち、まず関係各証拠によると、本件水門の設置目的およびその門扉開閉装置が自動化されるまでの経緯、右自動開閉装置の基本構造、被告人の職務関係、五月六日に被告人の行なった竣工検査の状況およびその結果、七月七日に都側において右装置の引渡を受けた状況、本件事故の機構的な原因等については、おおむね原判決が認定するような事実が認められ、また日立造船の高坂が、六月一二日に上昇用カムについていわゆるカムとマイクロスイッチの接点の振替を行なって、事故の原因となるような機構を作りあげたことも、先に判断したとおりである。
ところで、本件装置においては、ひとたび事故が発生して多量の外水が新川に流入するようなことがあれば、沿岸住民に甚大な被害を及ぼすおそれがあるのであるから、外水位が上昇して所定の水位に達した時には確実に閉扉するとともに、予め設定された諸条件が満たされない限り、決して開扉することがあってはならないということが、その性質上不可欠の要請といわなければならない。もっとも、被告人を初め都側の関係職員においては、水門を自動化することについての経験が乏しく、将来いかなる形の事故が発生するであろうかということさえも、見当のつきにくい状況にあったとは思われるけれども、右のような危険を伴う装置については、それだからこそかえって、都側において、業者からその引渡を受けるに当たり十分に慎重な態度で臨み、特にその安全性について配慮するのが、当然といわなければならない。
右のような観点に立って、さらに具体的に被告人の注意義務違反の存否について検討すべきところ、以下の諸事項、すなわち
1 設定値を超える高水位時に開扉してはならないことは、東京都の日立造船に対する特記仕様書に直接記載されてはいないけれども、右の仕様書は、そのことを当然の前提としているものと解されること(高水位時に開扉してはならないことは弁護人の主張する下げ優先と裏腹の関係にある)
2 開扉については、原判示のとおり三つの条件が設定されているが、そのうち特に、外水位計と水位差計のいずれかが、いわゆるロックの役割を十分に果たしていれば、一応安全性が確保されているといえること
3 右の二つの機器それ自体は、その基本的な事柄に関する限り、いずれもその構造や機能が比較的理解し易いものであるうえ、外水位計は、フロートを動かしていろいろの水位を人為的に与えてみるとともに、テスターを用いることにより、どの水位で開扉の指令を出すか、あるいは出さないかを確認することができるし(五月六日にはフロートを動かしての実験をしている)、水位差計は、水門上屋にある水位制御盤の中に組み込まれているが、外からメーターを見れば、水位差が変化するのに応じて指針がどのような動き方をするかということ、したがって、本件の場合には、水位差が一メートルに達すれば、かえって同水位の時と同じような状態を示すことを、比較的容易に知り得るものであること
4 都が業者から引渡を受ける装置にかしがあって、それが住民の安全に重大な影響を及ぼすようなものである場合においては、それを予め発見し、是正させる役割は、差し当たって検査員の検査に期待するのほかなく、検査員が安全性の確保ということをほとんど顧慮しなくともよいとすれば、検査制度そのものに大して意義がないことになると思われること
5 五月六日に実施された検査は、実水位で門扉が下降しないという欠陥が発見されたため合格という判定が下されず、安全性の検査にまで進むことなく終了したものと解するほかないところ、その後日立造船側において二か月にもわたりさらに種々の調整ないし改良工事を行なっていること
6 被告人は、電気や機械関係については素人同然であるが、かなり以前から水門関係の仕事に携り、潮の変更の状況、特に過去の経験から外水位がAP二・八メートル近くまで上昇する可能性のあることを知悉し、また本件水門の自動化計画の立案や門扉開閉の諸条件の決定にもある程度実質的に関与してきたものであること
などを総合して考察すれば、被告人の立場にある者としては、右の調整等が終わってその装置が都側に引き渡されるに当たり、安全性の問題を含めあらためて竣工検査を実施すべきであり、なおその方法としては、門扉の開閉を自動化するのが関係者にとって初めての経験であることから、高水位時に開扉するなどの可能性がないかを危惧し(この場合結果発生についてのいわゆる予見可能性としては、右のようにかなり抽象的なもので足りるというべきである)、すくなくとも、外水位計および水位差計に関する事項のうち安全性の確保につながるようなものについては、その構造と機能をある程度理解したうえ、所論のいうような員数、外観の検査および特記仕様書に直接記載のある条件のもとでの装置全体の作動検査にとどまらず、右の二つの機器のそれぞれについて、安全のための機構がどのようになっているか(具体的にはオン領域の範囲)ということを、必要があればフロートを上げ下げしてみるなどの実験をして積極的に探求し、そうすれば、例えば外水位計について、外水位がAP二・八メートル(閉扉時より一・二メートル高く、なお被告人の経験する過去の最高水位に近い)にまで高まったとき、外水位計自体としては開扉の指令を発すること、つまり右のような高水位時には必ずしもいわゆるロックの役割を果たし得ないことが判明するはずであるから、そのような場合であっても、残りの一方、右の例では水位差計の動きによって開扉を防げるようになっているかどうかを、より綿密に調べるのが、普通であったといわなければならない。
本件においては、高坂が、水位差計が原判示のような構造になっていることに気づかず、それがロックの役割を果たしてくれるものと軽信したうえ、外水位計の上昇用カムについて原判示の接点の振替を行なったため事故が発生するに至ったものと認められるのであるから、被告人が右のようにいわば常識的範囲に属し、専門的知識のない者でも比較的簡単にできる措置をとっていさえすれば、高水位で開扉する危険の存することに気づき、本件の極めて重大な結果は事前に防ぎ得たはずである。
そうであるのに、被告人が前記のとおり、必要な検査を全うせず、高坂の調整作業によって生じた装置の重大な欠陥を発見し得なかったのは、被告人の立場にある者に対して当然要求される用心深さを欠き、検査の要所の一つともいうべき安全性の確認を怠った明らかな落度といえるのであって、結局被告人は、外水位計および水位差計について、それぞれ安全のための仕組のあらましを理解したうえ、前記のような観点からの検査を実施し、右二つの機器のうちいずれかの働きによって高水位において開扉することが防がれているか否かを確認すべき注意義務があるのに、これを怠り、そのことが高坂の過失と相まって本件事故の原因となったものと認めざるを得ないのである。
なお、本件においては、被告人に対し、右の程度の注意義務を尽くすべきであったと期待することに無理があるといえるような特段の事情はなく、また本件が、いわゆる可罰的違法性の有無が問題となるような性質の事案でないことも明らかである。たしかに、東京都の関係するこの種工事については、検査員の指定や検査そのものの仕方が、従前ややもすれば形式的に流れ勝ちになっていたのが実情であったとはいえるし、都側の者の中には被告人以外にも刑事責任を問うべき余地のある者がないとはいえないけれども、それだからといって、被告人の過失そのものが否定されるわけではなく、その他弁護人の詳細な主張に鑑み十分に検討してみても、被告人の過失責任を肯認した原判決の結論は正当として是認することができるのであって、原判決に所論のような事実誤認等のかしはないものといわなければならない。
(牧 永井 本郷)